iphoneよりジョブズのプレゼンの方が長く世に残るんだろうなって話。
こんにちは、Aです。
私は某国立大学の機械学科に所属する学生なのですが、就職を意識する年齢になってきました。
そんな私の学科では当然のように周りの学生がメーカーなどのいわゆる「ものつくり」の企業に就職していきます。何の疑いもなく。
そして私も、そうなるのかなと漠然と思っていました。
実際、私は講義で電気自動車を製作したり、ロボコンチームに所属してロボット作ったりしていましたし、ものつくりが好きです。
ところが実は、悩みがあって、矛盾するようですが、なんかものつくりに一種のむなしさを感じるようになってしまいました。
語弊を招く表現を使ってしまったので訂正しますと、ものつくり全てでは無く、「形あるもの」。より正確には「質量のあるもの」を作ることが虚しいんじゃないかって感じてしまっているのです。
私にそう感じさせたのは、apple社が世に出したiphoneがきっかけでした。
初代iphoneが発売(2007)されてからもうすぐ7年が経とうとしていて、ジョブズが手がけたと言われる4とか4Sユーザーはどんどん減ってきています。
なんで虚しいと思ったかって言うと、なんか、技術革新のスピードやバージョンアップのスピードが早すぎて、次々にゴミを量産しているような気分になるんじゃないかなって想像してしまったからです。
今はiphone5や5Cがでていて、そのうち6,7と出るんでしょう。
近いうちにスマホ自体無くなるのかもしれないですよね。
なんかそう考えるとこれを一生懸命設計して、製造した人は疲れちゃわないのかなって思ってしまいます。あれだけ伝説的な存在として君臨するジョブズが手がけたモデルである4や4Sとかもいずれこの世に使っている人がいなくなってゴミになっていることでしょう。そんなに遠くない未来に。
質量あるものを作ることって本当に消耗戦だなあって思います。
しかし一方で、ジョブズの伝説的なプレゼンや、appleという会社自体はiphoneがこの世から無くなったとしても、この世にはあるんだろうなあって思います。
質量の無いものは残り、質量のあるものはすぐに廃れてゴミとなる。
あ〜虚しいな。。笑
以上、Aでした。